自分が嫌いなデザインは必ずウケない

デザインを詰めていく過程で、様々な人の意見が入ることは当たり前です。その過程で、なんだか自分がデザインしたような感覚が薄れてしまうということがしばしばあります。「誰々に言われたから」という理由で、納得していないテイクを提出してしまうことがあります。しかし、そのようなデザインはほとんどウケません。ましてや自分で気に入ってないデザインなどはさらにウケません。デザインに関して口を挟むのはデザインに関わっていない人々です。残念ながら、責任を持った意見とはいえないでしょう。周囲の意見が一致することもあまりありません。「アドバイス」というものはほとんどが無責任です。「○○がいいんじゃないかな、わからないけど」という具合です。この「わからないけど」という言葉は「逃げ」です。確信がないからそのように表現するのです。アドバイスとは、「口は出すけど責任は持たない」ということです。
求められるクオリティは確実にあるものの、それが具現化しない。クリエイティブな仕事というのはときにそのように過酷であるのです。それでも完遂しなければいけない。この辛さはデザイナー本人しかわからないものでしょう。そのようななか、いかにクオリティを上げていくか、いかにモチベーションを下げないかということが大切です。何かを作って周囲を納得させるということには途方もないパワーが必要です。リテイクを厭わない精神力、案件自体に興味を持ち続ける探究心、何よりも自分のデザインで商品をヒットさせるという自負が必要です。その根幹には、自分のデザインに対する愛情があるはずです。自分のデザインをブラッシュアップするためにアドバイスを客観的に受け入れ、完成に向けて確実に前に進むことが必要です。
「クリエイティブ」というものは、「細部にこだわったかどうか」ということが顕著にわかります。クオリティが高いものは、丁寧に仕上げられた細部はあまり注目されません。ですが、クオリティが低いものが「クオリティが低い」と認識されてしまう要因の1番の原因が「細部が雑」と見抜かれてしまうことにあります。細部までこだわることはいわば「当たり前」といってもいいでしょう。それはその商品を手に取る人に対しての最低限の礼儀ですし、また自分が生み出した「デザイン」に対する礼儀でもあります。自分の生み出したデザインが好きであれば、細部にこだわるはずです。仕上げの段階で気が緩む場合、自分自身で「飽きている」のです。「飽きる」ということは愛着がない証拠です。リテイクを重ねて作り上げたデザインが、単純なディテールの粗さで価値を失うことなどは許せるわけがありません。誰に言われなくても最後の仕上げは完璧に行って当たり前です。そのディテールの細やかな仕上げが評価されることはほとんどありませんが、それによってそのデザインが伝えたかったことが伝わるのです。人は潜在的に粗探しをします。手にとったものになにか欠陥 がないかを確かめるのです。欠陥を見つけてしまえば買いません。もし買ったあとであれば、「損をした」と後悔するのです。ユーザーにそのような思いをさせないためには、自分で自分のデザインを理解し、磨きあげることです。そのために、自分のクリエイティブを好きになりましょう。

 
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