「箸」に「角」をつける勇気

「箸」は、私たちが毎日使う道具です。食事をする際に必ず用いるものです。休みの日にPCを触ることがなかったとしても、ペンを持たなかったとしても、箸だけは毎日使うのではないでしょうか。そんな箸の「デザイン」は、限られたもののように思えます。二本の棒をバランスよく傾斜させ、使いやすいよう、食事しやすいように考えることしかできないのかもしれません。ですが、もしその箸に「角」がついていたらどうでしょう。「ツノ」です。想像できるでしょうか。どこにツノがついているか、そのイメージも人それぞれなのではないでしょうか。そのツノは、何に使うものなのか、それはさておいて、「箸にツノ」がついているアイテムを見たことがあるでしょうか。見たことがないのであれば、それはもしかするとものすごく斬新なアイテムになるかもしれません。ですが、「ツノ」の理由はどこにあるのか、わかりません。
「斬新」という言葉は、新しきを斬るということです。誰もが想像する「次」を、裏切る形でスタンダードを塗り替える行為です。それが定着したとき、後になってそのデザインを人は「革命」だとか「新しくスタンダードを塗り替えた」と表現するのです。そのようなデザインには「こうなればいいのにな」という「理由」が先に来るものであるとは限りません。「箸に角を付けるんだ」という決めつけから始まることもあるのです。箸にツノが生えていては使いにくいのではないか、しまいづらいのではないか、という懸念もあります。要するに、「誰もそんなことを考えない」のです。ですが、そこにあえて挑むことで、他者とは抜きんでたアイテムを作ることができるのではないでしょうか。「常識」は確かに「常識」としてそこにあります。誰もが期待するそのモノの次の姿ということもあります。ですが、「デザインとしての評価」、そしてどこにも「ないモノ」を目指す場合、誰もが「こうなるだろう」と考えているような姿ではいけないのです。
「想像もしなかった」これが「新しい」ということです。例えば、箸にツノをつけることがどうしても難しい。でも新時代の箸を作りたい。という方向性が揺らがないのであれば、今度は「箸を三本にしてみる」ということはどうでしょうか。使い方もなにも想像出来ませんが、だからこそ新しいのです。これは別に「箸に革命」を起こす必要があるというわけではないのです。「発想」のトレーニング。デザイナーにはそれが必要なのです。ただオシャレであればいい。ただ無難であれば良いというわけではないのです。「モノを作る」ということは、とても責任があることではあるのですが、その「作る」ということを通じて生活を彩ったり、新しいムープメントを呼んだりするものなのです。その中に自由な発想や斬新なアイディアが欠けてしまうと、何とも味気ない世界になってはしまわないでしょうか。もちろん、事業として成り立つ条件はシビアなものですし、誰にも受け入れられないかもしれません。ですが、クリエイティブということは「自由」であるべきですし、時にはクリエイティブが先行してあとから理由をつけてもいいのではないかと思います。刺激的なデザインは、硬いアタマからは生まれることはないのです。

 
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